「ショパン・フェスティバル2014
in表参道」第4日目の晩は、3人の専門家によるパネルディスカッションが行われました。テーマは、ずばり「ショパンはなぜピアノの詩人なのか」。ショパンの作曲家像について、各々の専門分野に基づく興味深い議論が展開されました。
今日のヨーロッパにおいて、ショパンが「ピアノの詩人」と呼ばれることはまずありません――こう語る音楽評論家の青澤唯夫氏のお話から、ディスカッションはスタートしました。ピアニストの小林仁氏も、この表現について違和感を持っていると述べられ、とりわけショパンの《バラード》がポーランド詩人ミツキェーヴィチの作品と共に語られることについて、問題提起されました。果たして両者の関係性はどこまで言及できるのか?誰が最初に言い出したことなのか?ショパンはなぜ「バラード」というタイトルをつけたのか?これらの問いを軸に、小林氏のピアノ演奏を交えつつ様々な角度から意見が交わされました。
ポーランド文化の専門家である関口時正氏は、まずショパンが「詩人」と結びつけられた初期の例としてハイネやシューマンらの証言を取り上げ、当時の文化的背景について解説。バラードというジャンルの由来や、文学に対するショパンの見解についても言及されました。特に印象的だったのは、「バラード」というタイトル付けについての関口氏の考察です。自作に標題をつけることをひどく嫌っていたショパンが、言葉のないピアノ曲に敢えて「バラード」というタイトルを与えたことを「ロマン派の言葉至上主義に対するショパンの挑戦」として捉えていらっしゃいました。
日本において当たり前のように受容されている「ピアノの詩人」としてのショパン像ですが、今回のパネルディスカッションを通して、それとは異なるショパンのイメージが提示されたように思います。複数の専門家がそれぞれの視点から物語るパネルディスカッションは、作曲家や作品についての理解を深めるのに、大変有意義なものであると感じました。
(Y.T.)